ポンコツ精進ダイアリー

クソカス偏差値の養成校に通うソーシャルワーカーの卵です。臥薪嘗胆していきましょう

「皆違って皆良い」と言う覚悟

「皆違って皆良い」という言葉、聞こえが良いですよね。能力が低い人や社会的弱者、果ては悪人まで全肯定する聖人のような言葉です。私はこの言葉が好きです。しかしながらこの言葉を軽々しく口走る人は嫌いです。


何故ならばこういう言葉を軽々しく言う人というのは、もれなくその「違う人」と関わりを持とうともしないんですよね。同じ階級や身分の人間としか関係を持たないんですよ。


上記の台詞吐いた人が「じゃあ君の住むタワマンの上の階を、ホームレスの保護施設に使わせてもらうね」って言われて一体何人がyesと言えるのかって話ですよ。


「皆違って皆良い」とはいうがその違いを肯定しない。あまりに調子が良い話じゃないですか。


行動力も心構えもないくせに一端に善人ぶらないで下さい っていうお話でした

特撮の魅力

私は特撮が好きです。ヒーロー戦隊も仮面ライダーもウルトラマンもメタルヒーローも好きです。特撮が見たいという理由のためだけにamazonプライムに加入するほどです。勿論、毎週日曜朝7時のいわゆるニチアサタイムは欠かさず視聴します。それだけ特撮というのは私のなかでは大部分を占めています。


しかしながら、世間としては「ああいうのは子供騙しの番組でしょう?いい歳した男が見るものではない」という意見もあるかと思います。そういった意見も至極当然といえば当然なのですが、子供騙しという部分だけは少し語弊があるかと思いますので少し弁解させていただきます。


特撮というのはいわば子ども層をターゲットとしたテレビ番組です。そのため脚本や役者の台詞、アクションも子ども向けに配慮されたマイルドなものとなっております。そこが子ども騙しだと言われる所以ですが、そこが特撮の魅力でもあります。

見映えのよい過激なアクションや、ウケの良いアダルトな台詞に頼ることができないというのは大きな枷です。役者や脚本家などそれぞれのプロフェッショナルが影でどれほどの汗を流しているかは想像にかたくないですね。そういった制限がありながらも老若男女を熱狂させることができる作品をつくるというのは、並大抵の所業ではありません。


また、あくまで特撮のヒーローというのは架空の存在です。そこもまた特撮が軽視される所以の1つです。しかしたとえヒーローが架空の存在でも、彼らの与えた感動や熱狂は実物です。そして人々の心のなかに“憧れのヒーロー”として実在します。これらは虚仮でも偽物でもありません。実際に人々の心の支えになっているのなら、それはもう実在するヒーローといえるのではないでしょうか。


私も来年度には人助けに近い職業に就く予定です。(なれるものなら)

私も先人みたく、誰かの憧れのヒーローになってみたいものです。

自分の代替

2日ばかりブログ更新できてませんでした。すんません。少し言い訳させてもらうと数少ない友人のアパートに遊びにいってたんですよ。その後友達と一緒にイオンモールに行ったり釣りに行ったりしてたらアラ不思議、2日もすっぽかしてました。


だけどその2日間で献血したり用水路に落ちて身動きがとれなくなった子猫を助けたりと社会貢献をしたのでどうにかチャラにしてください。かなり精進したでしょこれ。なんたって猫の命救ったんですよ


それでこの二日のうちに、人生初の献血というものを体験したのですがアレはいいですね。目に見えて社会貢献ができるしジュース貰えるし、至れり尽くせりとはこのことです。更に言えば私は特に不足しがちなO型だったため、一層喜ばれたわけです。(どうやらO型はほぼ誰にでも融通がきく万能血液なので、できるだけ確保したいらしいです)


しかし愚かな私はそれを聞いてこう思ってしまったわけです。

「別にこれO型なら俺じゃなくてもいいんだよなぁ」と。更にそこから派生して「よく考えたら俺が得意だ専門分野だと思ってることも代替はいくらでもいるんだよなぁ」とまで考えてしまいました。


それもそのはず、私は英語勉強しているといってもまだ資格の一つもとっていません。能力だけでいってもそこいらの受験生に下手をすれば劣るほどです。児童ソーシャルワーカーとしての知識だって、しっかりした福祉の大学で勉強した後に、実際に現場で経験を積んでいる人に比べれば塵のようなものです。 献血だって輸血が足りていれば喜ばれることもありません。


結局のところ私は「君じゃなきゃ駄目なんだ!」って言ってほしいのだと思います。「最初は便りにされてても、代替が現れた途端に手のひらを返される」ということがたまらなく恐ろしいのです。だから唯一無二としての存在意義が欲しいのでしょう。「君はもう要らない」と言われるほどの絶望はありませんから。


もしかすると私が児童ソーシャルワーカーを目指したのも「恵まれない子どもたちの唯一無二の存在になりたい」という考えが根っこにあったからなのかも知れませんね。


だとしても私はソーシャルワーカーになるつもりです。というよりもならねばならない。

自分にとやかく文句や制限を付けて何もしないのは最悪の選択です。唯一無二の存在になりたいならなってやるまでです。技術がないなら伸ばすか他のスキルで補えばいいのです。


やらない善よりやる偽善。やってやろうじゃないですか