ポンコツ精進ダイアリー

クソカス偏差値の養成校に通うソーシャルワーカーの卵です。臥薪嘗胆していきましょう

自分の代替

2日ばかりブログ更新できてませんでした。すんません。少し言い訳させてもらうと数少ない友人のアパートに遊びにいってたんですよ。その後友達と一緒にイオンモールに行ったり釣りに行ったりしてたらアラ不思議、2日もすっぽかしてました。


だけどその2日間で献血したり用水路に落ちて身動きがとれなくなった子猫を助けたりと社会貢献をしたのでどうにかチャラにしてください。かなり精進したでしょこれ。なんたって猫の命救ったんですよ


それでこの二日のうちに、人生初の献血というものを体験したのですがアレはいいですね。目に見えて社会貢献ができるしジュース貰えるし、至れり尽くせりとはこのことです。更に言えば私は特に不足しがちなO型だったため、一層喜ばれたわけです。(どうやらO型はほぼ誰にでも融通がきく万能血液なので、できるだけ確保したいらしいです)


しかし愚かな私はそれを聞いてこう思ってしまったわけです。

「別にこれO型なら俺じゃなくてもいいんだよなぁ」と。更にそこから派生して「よく考えたら俺が得意だ専門分野だと思ってることも代替はいくらでもいるんだよなぁ」とまで考えてしまいました。


それもそのはず、私は英語勉強しているといってもまだ資格の一つもとっていません。能力だけでいってもそこいらの受験生に下手をすれば劣るほどです。児童ソーシャルワーカーとしての知識だって、しっかりした福祉の大学で勉強した後に、実際に現場で経験を積んでいる人に比べれば塵のようなものです。 献血だって輸血が足りていれば喜ばれることもありません。


結局のところ私は「君じゃなきゃ駄目なんだ!」って言ってほしいのだと思います。「最初は便りにされてても、代替が現れた途端に手のひらを返される」ということがたまらなく恐ろしいのです。だから唯一無二としての存在意義が欲しいのでしょう。「君はもう要らない」と言われるほどの絶望はありませんから。


もしかすると私が児童ソーシャルワーカーを目指したのも「恵まれない子どもたちの唯一無二の存在になりたい」という考えが根っこにあったからなのかも知れませんね。


だとしても私はソーシャルワーカーになるつもりです。というよりもならねばならない。

自分にとやかく文句や制限を付けて何もしないのは最悪の選択です。唯一無二の存在になりたいならなってやるまでです。技術がないなら伸ばすか他のスキルで補えばいいのです。


やらない善よりやる偽善。やってやろうじゃないですか